不思議な霊?体験をしました

1年ぶりに新潟・越後湯沢のマンションに行きました。9月18日(日)私の新潟県内の出身中学の同期の仲間たちと新潟でゴルフの会のためです。ゴルフ後、近くのホテルに宿泊いたしました。9月17(土)日から9月19日(月、敬老の日)の旅行でした、神奈川に帰るワンクッションとして、ゴルフ前にも宿泊したのですが、新潟・越後湯沢のマンションに止まりました。今年の例年にない6月からの猛暑のせいか、17日0時頃に着いたのですが、部屋に入ったら非常にかび臭く、窓を開けたり、エアコンを非常に効かせたりして、なんとか寝ようとしたのですが、眠りが浅くなるとかび臭さが気になるという塩梅でした。翌朝は仕方ないので、室内を点検し、1年か敷きっぱなしの布団を外のベランダに干し、シーツや掛け布団カバーすべてを洗濯し、1年間室内に干しっぱなしのタオルなども洗濯し、その後、ベランダや室内に干すという作業を1日中、やらざるを得ませんでした。その後、到着したとき、日中は暑く、夜になると冷えたせいか、窓には結露が見られました。朝には窓拭きや窓枠のシリコン部分が真っ黒なカビがはびこっており、その掃除もすることになりました。その後、エアコンや空気清浄機の水洗いと、一日中掃除・洗濯をする羽目になり、最後には腰が痛くなる始末でした。

新型コロナのせいか、このゴルフの会だけのために、越後湯沢のリゾートマンションに立ち寄るという生活になってしまいました。その間に越後湯沢のゴルフ場で、地元の名士でいつも一緒にゴルフに付き合ってくれた友人も亡くなってしまいました。昨年、連絡をいただいたので、弔問に訪れ、友人が具合が悪いということで、見舞いに代えて、いつもゴルフの際に持って行ったiPadで撮った写真をUSBに入れて、お嬢さんのところに送りました。その時の写真が遺影として使われていて、送って良かったな、と感じた次第です。今回は時間がなく、お墓参りなどが出来ませんでしたが、来年は伺いたいと思っているところです。

前振りが長くなりましたが、これからが本題です。すべての用事を終えて、神奈川に帰るために、荷物をまとめて、車に乗せる作業を続けておりました。次の荷物を積むために、1階に置いてある手押し車をエレベータに運び、自分の部屋のある階の12階のボタンを押しました。

その時です。もちろん、自分の階しか用がないので、最上階の12階のボタンにランプが付くのは当たり前ですが、視線を1度逸らした後に前を向いたら、ほんの一瞬の間に3階と5階のボタンのランプが付いていたです。自分の階の12階のボタンの位置と、3階と5階のボタンの並びは異なり、まして違う並びの階のボタンを2つもほとんど同時に押せるはずもありません。3階と5階は12階に上がるまでの途中階ですので、3階に止まっては扉が開き、もちろん、リゾートマンションなどで、他の階への行き来は全くといっていいほどないはずで、もちろん3階では誰もいず、その後5階に止まったのですが、扉が開いても誰もいず、そこで、私の後ろ頭からぞーっとする感覚は広がり、その後、部屋のある12階に着いて、もう一度その感覚に襲われました。

思うに、リゾートマンションですので、あまり利用者間の行き来はありません。この3階は昨年、このマンションの理事長さんが亡くなられてしばらくの間は発見されず、その後、見つかった後は死後の経過により、部屋は改修しないと新しい人が住めないということで、マンションの管理組合が金を出し、このマンションの唯一のゲストルームを開設するべく、準備しているところとのことです。きっと3階に住んでいた亡くなられた理事長さんが自分が死んだとは認識しておらず、生前と同様に懇意にしている5階に住む永住者のところに行ったのでしょうかね。このような経験したものからすると、今後ゲストルームと使われるとしても、そのような曰く付きですので、感覚の研ぎ澄まされた人が宿泊した際には、おちおち眠ることはおろか休むこともできないのではないか、と心配しております。

さて、なぜこんな話を会社のホームページのブログにあえて掲載するかというと、私どもブラディオン医科学研究所は、癌患者さん、特に抗癌剤が効かなくてもう他に手を尽くせないと医師に言われ、どうしたらいいのかと相談を受けたり、抗癌剤の副作用が耐えられず、他の治療法を求めて弊社のホームページを見た(問い合わせのベージから簡単にアクセスできます)ということから連絡をされる方もいらっしゃいます。また、懇意にしている医学部元教授や現国立病院の医師の方から、転移が認められ、手術や放射線治療はできないが、槐耳が癌に対し、副作用もなく、QOL(生活の質、生命の質)が維持され、たとえ亡くなるとしても、抗癌剤の副作用でへろへろすることもなく、死の直前までしっかりとした意識でいられるということで、紹介されたこともあります。

そのような人はもちろんですが、人間誰でもかならず死にます。多くの医者は、死ぬ病としてがいいとよく言われます。脳卒中心筋梗塞のように突然死では、死ぬ前の準備が全く出来ず、残された家族に対して、何もできないのは嫌である、と考えるからです。生物はかならず死にます。脳の発達したヒトはその「死」を恐れます。仏教では、四苦八苦の中に「死」があります。ですが、「」に至る道として、「」は嫌だということで、抗癌剤という毒薬に近い薬を飲んだり、受けたりして、「」で苦しむのではなく、「治療」で苦しむ人が非常に多いのです。以前、このブログで、米国では抗癌剤治療は古い(弊社ブログ:抗癌剤は時代遅れ?!ということをお伝えしたことがあります。治療は抗癌剤ばかりではありません。槐耳は、奇跡の薬ではありませんが、弊社医師の指導の下、実際に末期の大腸癌の方や膵癌の方を治したという実績があります。それでも、癌は治ったが、結局年齢には勝てません。その後、Alzheimer病で亡くなられたという経験もしております。そう考えると、癌が治るということばかりでなく、癌をそれ以上悪くせず、残りの人生を、抗癌剤でで体も心も苦しめられることなく、楽しく生きる(寛解)ということを考えてもいいのではないでしょうか?

先日、頚部癌の比較的高齢の患者さんが弊社に相談に来られ、本人は非常に積極的に槐耳治療を行いました。ところが、そのおかげで体調が非常によくなり、友人のいる千葉まで神奈川なら行き、ゴルフをしてきたと連絡をいただきました。わたしどもも非常に喜んだ次第です。ですが、その後、体調が良くなったので、他の抗癌剤は効かなかったが、オブジーボなら効くかもと主治医が考え、治療を始めたら、案の定、効かず、患者さんは結局具合が悪くなって、つい先日亡くなられました。非常に残念です。槐耳だけを使い続けていたら、もっと長くQOLを維持して、余生を楽しめたのではないかと考えております。分子標的薬を含めた抗癌剤にしても10年前の国際学会で15%くらいしか効かない、オブジーボにしても、効くのは同様に15%くらいと聞いております。聞かない薬は百害あって一利なし、です。自分の体は正直です。自分の体に耳を傾け、効かないと思ったら、すぐに抗癌剤治療は止めるべきです。抗癌剤の中には中止しても、一年以上たっても、手足のしびれが取れないという副作用もあります。その意味では早く治療を中止するという決断も大事です。

最後に、癌患者さんに限らず、どうか自分の「死生観」をもって、病気に立ち向かってください。私どもへの相談者のなかには何年も何年も槐耳を通じて、交流している方もおられます。逆に、私どもに、身内の方に連れられて、槐耳治療を受けたらと身内の方から言われて、しぶしぶ槐耳を治療を受けようかという方もおられましたが、問診(医療面談)の印象では、この方はもうあきらめているんじゃないかと体から発信している方もおられました。そのような方には、槐耳を勧めても、他の薬を勧めて、きっと効かないだろうなと感じております。結局、槐耳による臨床研究も2ヶ月で中止になり、その後のこの患者さんがどうなられたか知る由もありません。自ら考えて治療を放棄するという考えも、その人の「死生観」からなるものでしたら、それはそれでいいと考えますが。ただ、人生を最後まで諦めないということの方が好きですが、かといって、医療機関を渡り歩く(ドクターショッピング)というのもどうかと考えます。